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written by Ying  MS. Custance fol.3 recto 全体

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MS. Custance fol.3 recto
771mm×671mm
中英語
カロリンジャン体、ルスティカ体、アーティフィシャルアンシャル​体

古めかしいCarolingianの書体の雰囲気に合わせて、最初はその書体の最盛期の10世紀ごろのテキストを探しましたが、手の入りやすさも考えて、14世紀頃Geoffrey ChaucerのThe Canterbury Talesにしました。物語の冒頭の描写が美しいイントロの部分です。この作品は現実には存在しない写本の1ページをイメージしていて、テキストをあえてピリオドではなく、カンマで終わっているのも物語は次のぺージにも続いていると思わせるため。タイトルの‘MS Custance fol.3 recto’はまさいその架空の写本を表しています。MSはmanuscriptを意味し、Custanceはカンタベリー物語の中に出てくる法律家の話の主人公の名前で、この写本の愛称の設定となっています。folはページの枚数、rectoとは向かって右、つまり表のことを指します。つまりこのタイトルはCustanceという愛称で呼ばれた写本の3ページ目の表、即ち右側のページを意味します。この時期の飾り文字はとても華やかで、本来なら金箔を使って豪華に飾り立てればいいですが、残念ながらこの作品の金色の部分はただの水彩絵の具です。ただ、実は内心ひそかに一面タイトルの飾り文字で埋め尽くされたの豪華な物語の表紙を作っても面白いと思っていて、遠い未来にfol.2という名のシリーズ作になっているかもしれません…

Here bygynneth the Book of the Tales of Caunterbury

 

Whan that Aprille with his shoures soote,

The droghte of March hath perced to the roote,

And bathed every veyne in swich licóur

Of which vertú engendred is the flour;

Whan Zephirus eek with his swete breeth

Inspired hath in every holt and heeth

The tendre croppes, and the yonge sonne

Hath in the Ram his halfe cours y-ronne,

And smale foweles maken melodye,

That slepen al the nyght with open ye,

(So priketh hem Nature in hir corages);

Thanne longen folk to goon on pilgrimages,

And palmeres for to seken straunge strondes,

To ferne halwes, kowthe in sondry londes;

And specially, from every shires ende

Of Engelond, to Caunterbury they wende,

The hooly blisful martir for to seke,

That hem hath holpen whan that they were seeke.

 

 

Bifil that in that seson on a day,

In Southwerk at the Tabard as I lay,

Redy to wenden on my pilgrymage

To Caunterbury with ful devout corage,

At nyght were come into that hostelrye

Wel nyne and twenty in a compaignye

Of sondry folk, by áventure y-falle

In felaweshipe, and pilgrimes were they alle,

That toward Caunterbury wolden ryde.

The chambres and the stables weren wyde,

And wel we weren esed atte beste.

And shortly, whan the sonne was to reste,

桝井 迪夫訳

カンタベリー物語の書ここに始まる。

 

四月がそのやさしきにわか雨を

三月の旱魃(ひでり)の根にまで滲みとおらせ、

樹液の管ひとつひとつをしっとりと

ひたし潤し花も綻びはじめるころ、

西風もまたその香しきそよ風にて

雑木林(はやし)や木立の柔らかき新芽に息吹をそそぎ、

若き太陽が白羊宮の中へその行路(みち)の半ばを急ぎ行き、

夜を通して目をあけたるままに眠るころ、

――かくも自然は小鳥たちの心をゆさぶる――

ちょうどそのころ、人々は巡礼に出かけんと願い、

棕櫚の葉もてる巡礼者は異境を求めて行かんと冀(こいねが)う、

もろもろの国に知られたる

遥か遠くのお参りどころを求めて。

とりわけ英国各州の津々浦々から

人々はカンタベリーの大聖堂へ、昔病めるとき、

癒し給いし聖なる尊き殉教者に

お参りしようと旅に出る。

 

 

そんな季節のある日のこと、こんなことが起こりました。

じつは、わたしはとても敬虔な気持ちからカンタベリーへ念願の巡礼に出かけようと、サザークの陣羽織(ザ・タバード)屋に泊っておりました。

ところが夜になるとその旅籠屋(はたごや)に二十九人もの人たちが一団となってどやどやと入りこんできました。

この人たちはいろいろな階級の人たちで、ふとしたことから仲間になった連中でした。

彼らはみんな巡礼さんでカンタベリーへ馬に乗ってお参りしようというわけでした。

寝る部屋も広げれば厩も広うございましたし、それにわたしたちは最上のもてなしを受けました。

そこで手短に申しますと、太陽が休みについたころ、

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